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turbo717's Activity 

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百間洞山ノ家→赤石岳→兎岳

南アルプス_聖岳_赤石岳_登山日記(5)_避難小屋のことなど


百間洞山ノ家(2380m)→百間平(2782m)→赤石岳(3120.1m)→百間洞分岐(2450m)→大沢岳(2819.4m)→中盛丸山(2807m)→兎岳(2818m)→避難小屋(2718m)

日本海から北陸に前線が延びる。強風雨→後強風これを交互に繰り返す。山では厳しい気象。




さて、今日は、2005/8/9~8/13の南アルプス登山紀行第4日目の日記(8/12(金))を掲載します。

全行程は、易老渡(いろうど)→易老岳(いろうだけ)→茶臼岳→茶臼小屋→上河内岳→南岳→聖平小屋→聖岳→兎岳→中盛丸山→(大沢岳)→百間洞山ノ家→赤石岳→百間洞分岐→大沢岳→中盛丸山→兎岳→避難小屋→聖岳→薊(あざみ)畑分岐→西沢渡(にしさわんど)→易老渡(いろうど)


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上の絵は、聖岳(3013m)山頂から眺望した赤石岳(3120.1m)です。
この絵の左に、赤い点が見えるでしょうか。百間洞(ひゃっけんぼら)山ノ家です。実は、この風景から、大沢岳(この絵の左側に位置します)と赤石岳を結ぶ稜線が百間洞山ノ家の上方の肩の部分と勘違いをし、赤石岳ピストンでリュックをデポするタイミングを逸してしまいました。
登山道は、限りなく、百間洞山ノ家まで下り、大沢岳に登るコースであり、なんとテント場のすぐ脇に分岐点がありました。この稜線の上のあたりにも第二の分岐点があると勘違いをし、結局赤石岳ピストンながら、重いリュックを担いだままピストンすることとなりました。
標準タイムで往復6時間にも及ぶ、コースとしてはきつかったです。
百間洞山ノ家の右の尾根は百間平であり、左の沢(百間洞山ノ家のある側の沢)が百間沢、左の沢が裏赤石沢でともに本流の赤石沢に注ぎ込みます。聖の北、兎岳から大沢岳にかけての東側のすべて樹林地帯の水流をあわせ、赤石沢が形成されていおます。絵の手前が聖岳ですので、この大きな谷は両方に3000m級の山を擁しすごい谷となっています。景観も見事で、上部はハイマツ、下位にシラビソ、ダケカンバ、コメツガ、トウヒなどの鬱蒼たる森林地帯であります。
午後からのガスはこの谷底から上がってきます。それに伊那谷方向からも稜線をめがけて上がってきますので、晴れていれても一瞬のうちに視界ゼロということになり、午前中の早いうちの通行を余儀なくしているいます。




中の絵は、大沢岳(2819.4m)の空恐ろしい南峰の絶壁に吹く登るガスを描いた図です。
一瞬の立ち止まりは、谷底に吸い寄せられる魔力が働くのですが、スケッチをと叫ぶ第二のturbo717に打ち勝てません。この絵の右側が伊那谷方向の絶壁で、直視ができないくらい切れ込んだガレ場です。


下の絵は、これまた空恐ろしい廃墟の兎岳避難小屋前に咲く、お花畑の一つの花です。名前はいまから調べます。
3行4列というように赤い小さな花が茎の長さ30cmで整然として並び、見事でした。

pm6:00-7:00でも外は明るく、お花畑には花が一杯咲き誇り、見飽きないものでした。廃屋に入る気もせず、しばらく絵を描いていたかった場所です。




時間行程は、百間洞山ノ家(am5:00)→百間平(am5:45)→赤石岳(am7:00)→百間洞分岐(am9:00)→大沢岳(am11:00)→中盛丸山(12:00)→兎岳(pm1:45)→避難小屋(pm2:00)でした。




さて、3人パーティーの人たち(今日の予定は、赤石岳→荒沢岳→千枚小屋)より一足先に出ました。赤石岳ピストンをし、昨日のコースを逆送するためです。
雨は降ったりやんだりとするなかで、カッパ姿による出発です。百間平まで、東に斜面を登り詰めます。リュックのデポの場所を決められずそのままリュック姿での赤石岳登山です。
人っ子一人いません。雷が頭上で光っています。赤石岳は名のごとく岩石が累々と重なる、石だらけの山です。岩の尖った先に靴を合わせ歩を進めるのは苦労しました。山頂にはくぼ地があり、そこに赤石岳避難小屋が霧の中にボーと浮かびます。
山頂でシャッターを切ろうとしていると、白霧のなかからハイカーが浮かび上がる。荒川小屋から上がってきた人。(ここはカレーの食べ放題が有名。)
今日は先に進まず、Uターンして、赤石小屋(2560m近辺)に泊まるといっていました。百名山登山のツアーの人はこの悪天候でそのまま下山するか、連泊をするかのどちらかのようだ。
やはり、この悪天候。だれもいなにのはあたりまえか。

Uターンすれど、途中会う筈の3人パーティーの人達にどこまでも会わない。テントの2人に途中会ったが5:00ジャストにスタートしたという。たぶん、頂上Uターン時、10secくらいの違いで、赤石避難小屋に立ち寄ったと思われる。
百間洞山ノ家・大沢分岐から大沢岳(2819.4m)までは過去の登山の中でもっと過酷なものであった。岩石の道をジグザグと何千回も進ませる(標高差600m)には、ほとほと突かれきりました。頂上が見えないのであります。
霧のためまったく見えないこともあたが、北峰は迂回し、南峰を登山することになる。昨日ご夫人が笑いながら北峰を登攀すべしと言っていたのは、何かの間違いか。コースは途絶えている。唯一、西方向に切り立った稜線を南峰へと歩を進めるのみ。上図の真ん中の絵のような空恐ろしい尖った先端の細い道を500mも進まなければならない。これが
なんと、南からの登攀であれば、200mくらいの緩やかな斜面を登るのみでよかったものを。北側からの登攀は難渋を極めた。

昨日大沢岳を南から登攀している3人パーティーの人達が正解であった。turbo717はこの登山で精魂尽き果てる。
ここでどう計算しても4時まで、聖平小屋に到着できないと見て、本日は、兎岳避難小屋に泊まることとした。


避難小屋物語
この兎岳避難小屋・・ブロック塀及び、石積みのトタン屋根の小屋。奥行き3m、横幅3.6m。中は荒廃。
その様・・金属の戸が2連、木枠の戸3連が穴の開いた、床に並べられているのみ。土間は土。金属の戸2連はマットがないと使用不能。
木の戸は、注意して上がらないと、穴があくという朽ちた木片。pm2:00に木の戸(180cmx60cm)を一つ占有する。真っ暗な空間も、ガラスの明り取りから光が漏れる。
入り口の戸は壊れている。熊がはいってくれば一貫のおわり。

雨が激しく廃屋に吹きつける。夜露のみを防ぐのであれば十分であろうか。それにしても1人とは!
pm3:00、2人目の登山家がヌーと入ってくる。
pm4:00、3人目の青年現れる。ビバーク覚悟での登山をしており屋根があるだけで十分と。かなりのつわもの。

今夜はこの3人。最後の青年、天幕を中に張って、そのなかで、ボンベを焚く。ぬれた服を乾かすため、夜中の3時まで、定期的にボンベを部屋の中で焚く。
天幕から、ゆらゆらと影が映る。その姿、何かの執念か。
亡霊のような影が。

熊よりも恐ろしいシチュエーション。

当局にお願い・・・この避難小屋・・かなりの確率で使用されている。整備を!



外では雨がやむ。霧の朝。ころがるようにここを出発。つづく。



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